受験生の皆さん、共通テスト直前ですね。確実に役に立ちそうな知識を一つ
まあ、前日にこれを読んでいる時点で諦めているか、私なんかの教えは不要かどちらかなので
お役に立てるとすれば高校2年生以下の少年少女達かも知れませんが、これだけ覚えられるでしょうか?
「梨フォミバゲ、梨フォイ鳩、納豆ドバゲン、野チョイ鳩」20回くらい復唱してみてください
「〜するしかない。」という意味の構文で
thiere is の後に続く部分が
・nothing for me but 原型 梨フォミバゲ
・nothing for it but to (原型) 梨フォイ鳩
・nothing to do but 原型 納豆ドバゲン
・no choice but to (原型) 野チョイ鳩
で、覚えておいてください。英単語10個覚えるよりはよっぽど点数に繋がりますよ。
原型の前にtoがつくかどうかが重要だったりするのですが、語呂合わせで覚えれば楽勝です
ちなみにこれ、一切調べたりしてませんよ。家庭教師をしていた時に最後暗唱しただけだったので、20年以上一度も暗唱しませんでしたが覚えてました。受験勉強を「その時だけのつまらない知識」だとか批判する生徒も多いようですが、でしたらつまらない語呂合わせを使って点数だけ取ってしまおうという考えには至らないようでは未熟です。受験が終わってもブログのネタに無理やりすることだって可能ですよ
ちなみに梨フォミバゲはほとんど出てきませんから、明日のためというなら飛ばして覚えてもいいでしょう
今日もキリスト教について。こんにちは、院長の佐野です
キリスト教はイエス・キリストの教えをもとに成り立っているのは有名ですが。経典は新約聖書と旧約聖書です。新約聖書は世界中のホテルの客室に常備されているくらいの書物で当然ながら各国の言語に翻訳されています。中国の唐の時代には景教が流行し漢文に訳された聖書が存在し日本にも入ってきていた可能性がありますが、残っていませんしその記録もありません。聖徳太子は生前母親が観音様から「お腹を貸してくれ」と頼まれ(受胎告知)、出産も馬小屋であるというのは明らかにキリスト教の影響を受けていると思われます。文献に残っているのは平安時代に成立した「聖徳太子伝暦」ですが、聖徳太子生誕時からの言い伝えをもとにしているのかも知れません。少なくとも「聖徳太子伝暦」の成立までにはなんらかの形でキリスト教の存在は知られていたものと推測されますね。ちなみにイエス・キリストが馬小屋で産まれたというのは新約聖書には記載されていないみたいです。後世付け足された情報のようですね。
さて、キリストの教えを実際に広めたのはその後の使徒達によるものが多く、新約聖書の内容も使徒達やさらにその弟子達による記述となっています。
使徒の中でも裏切りのユダは有名なので、ここではキリスト教徒にとっては結構当たり前ですが一般にはあまり知られていないペトロ(私はペテロと日曜学校で聞かされていました。英語でいうピーターですね)について。
ペトロはイエスが十字架刑に処される前の晩、有名な最後の晩餐のシーンでイエスから「お前は明朝ニワトリが泣くまでに、3回私のことを『知らない』というだろう。」と言われ、当然その場では強く否定します。その後、役人達がイエスを捕まえにくるのですが、役人や野次馬のご婦人などに「イエスの弟子だろう」と訊かれて、その度に「いえ、私はイエスなんて知らない」と答えてしまいます。そして、3度目に否認したところ鶏がないて思い出し「師のおっしゃった通りだ!」と思い知らされます。そして深い悲しみと自己嫌悪に暮れるのでした。このシーンは多くの画家によって描かれていますから「ペトロの否認」で検索してみてください。また、バッハ作曲「マタイ受難曲」の中のErbarme dich という曲にも歌われています。これも検索して聴いてみてください。
そして、その後ペトロはキリストの教えを広めて行きます。ローマで布教していたのですがローマ帝国でキリスト教迫害が強くなってくるとペトロはローマを脱出します。その途中イエス(イエスは十字架刑で処刑された後に復活するのは有名ですが、その後何度か使徒達の前に現れます。)とすれ違います。その時に「師よ、どこへ行かれるのですか」「お前がローマの民を捨ててしまったので、私が救いに行くのだよ」といったやりとりがありました。このシーンも有名ですので覚えておいてくださいね。
さて、ペトロは英語ではピーターですがイタリア語ではピエトロ。ドレッシングが先に思い浮かびそうですが聖ピエトロ大聖堂がバチカンにあります。そこにペトロが祀られています。ローマに戻ったペトロは初代教皇となっていたのでした。正確には本人が初代教皇を名乗ったのではなく、後世の人が初代教皇といえばペトロだろうとしたんですけどね。
もう一つ、聖ピエトロ大聖堂の北隣には同じくらい有名なシスティーナ礼拝堂がありますが、ここには有名はミケランジェロの「最後の審判」が描かれています。これは日本人が一度は伊勢参りをしなければいけないのと同様にキリスト教徒は一度はこの絵をみなければいけないことになっています。「そんな話聞いたことない」と思ったあなた。いいじゃないですか、そういうことにしておけば。実際にそんな感じなのですから。
ところで、ダヴィンチの「最後の晩餐」はミラノですよ。念のため。