庄内クリニックブログ Shonai Blog

殉国七士廟

こんばんは、院長の佐野です

 

平成の時代、この日は天皇誕生日で祝日でした

今日は終戦直後のこの日に起こった出来事を紹介しますね

 

終戦直後に東京裁判によって戦争犯罪人が裁かれました。戦争犯罪人が裁かれたと言っても報復のための裁判で、裁判と名乗るのもおこがましいほど、戦勝国側の言いなりの単なる懲らしめだったのは今日では常識です。さて、その中でもA級戦犯として裁かれ、処刑された7名の石碑が愛知県にあります。意外と皆さんご存知ないようですが、愛知県に建てられた経緯はこうです。

 

昭和23年12月23日東京裁判でA級戦犯とされた7名が処刑されました。なぜこの日に処刑を行ったのかと言えば、皇太子の誕生日という日本人にとってめでたい日にわざわざ設定したのだ、という説が濃厚です。ちなみに東京裁判の起訴は昭和21年4月29日、天皇誕生日です。つまり見せしめ。そして7名の遺骨は日本国や遺族に返還される予定はありませんでした。そこでせめて遺骨だけでも、ということで火葬場職員の協力を得て持ち出しに成功しますが、隠しておいた場所に誰かがお香を焚いたため発覚。米兵に没収、破壊、遺棄されてしまいます。それでも諦めきれず25日深夜クリスマスで浮かれている米兵の目を盗んで遺骨持ち出しに成功します。遺骨をこっそり保管し昭和35年にやっと三ヶ根山山頂付近に慰霊碑を建立することが出来たのでした。

そして、昭和54年に豊田市で植樹祭にご行幸あそばれた昭和天皇皇后両陛下はここ三ヶ根山のグリーンホテル (現三河湾ヒルズホテル)にご宿泊されました。豊田市の植樹祭にわざわざ三河湾のホテルですからね、その意味をよく考えてくださいね。そして朝6時従者が部屋に訪問した際、両陛下は少なくとも15分間、殉国七司廟にお顔を向けて直立されていた、ということです。

直接ご親拝されたかったことでしょう。当時、既に東京裁判の茶番ぶりは明らかでしたが、日本国内にはご親拝を問題にしたがるアホの左翼がいますので出来なかったのだと思われます。ここでご親拝という用語を使いましたが、我々臣民でいうところの参拝ですよ。最近は新聞やテレビでも天皇陛下がご参拝、と記載する記事が目立ちますが片腹痛いです。このブログの読者はちゃんと覚えていてくださいね、別に左翼思想の方でもちゃんと覚えてくださいね。教養ですから。

脱線しますが、A級戦犯合祀されたから天皇が靖国神社「参拝」出来なくなった。とか書いてしまうアホの左翼が実際にいますが、反日的な主張をするために普段は否定している天皇の権威を使おうとしているところが滑稽ですよね。しかも「参拝」とか。もう何年も前からまともな東大生はほとんど朝ひ新聞には入社していませんから、そんなもんでしょう。ちなみに東大生でも知らないであろう知識を一つ。親拝という用語は天皇が自ら伊勢神宮(天照大神)や橿原神宮(初代神武天皇)を礼拝される時に用いられ、靖国神社 (祀られているのは臣民)や護国神社(祀られているのは臣民)(殉国七士廟もそうなりますね)には行幸を用いるのが厳密には正しいのですよ。実際にはそのようではないので「ご親拝」で十分ですし東大生の99%が知らないことにそこまでこだわるのは現実的ではないですよね。ところで、その99%の根拠は何かとか言い出しそうなアホには「出来ない点取り虫くん」の称号を差し上げます。

日本を背負って処刑された七士の名前を記しておきますね

 

板垣征四郎氏(陸軍大将、関東軍参謀長)
木村兵太郎氏(陸軍大将、ビルマ方面軍司令官)
東条英機氏(陸軍大将、内閣総理大臣)
土肥原賢二氏(陸軍大将、特務機関)
広田弘毅氏(文民、内閣総理大臣)
松井石根氏(陸軍大将、中支那方面軍司令官)
武藤章氏(陸軍中将、第一四方面軍参謀長)
(名前五十音順)

 

 

この七士の名前と漢字を暗唱出来ない自分を恥じながら、締めさせていただきます