庄内クリニックブログ Shonai Blog

2月27日ですが

今晩は院長の佐野です

昨日はブログにも書いた2.26事件のあった日でしたが

今日は50年前に米国のニクソン大統領が訪中し中華人民共和国を事実上承認した日です

これ以降、中国は日本の支援も受けながら発展し続け、日本のGDPを軽く抜き去り米国を脅かす存在となってます

ヒットラーがやったことと同じジェノサイド実行中ですが、世界中が経済的メリットを享受している為か強く出ることが出来ません。結局世界中が避難しても日本人が思っているほどの効果はないのかもしれませんね。中国によるジェノサイドにしても今回のロシアの軍事行動にしても。欅坂46がナチスの軍服を想起させる様な衣装をコンサートで使用しただけで秋元康が謝罪に追い込まれてしまうのに私にはしっくりきません。あらためてネットで画像見ましたが素晴らしい衣装でしたよ。また、ナチスの軍服自体も単純に格好いいと思います。軍服が格好いいのとナチスがしでかした悪事をどうして分けて考えられないのでしょうか?例えば鉤十字旗(ハーケンクロイツ)なんかはその思想が深く関与しているので問題になることは理解できますが、制服は格好いいものは格好いいと言うことは問題ないと思うんですけどね。旗と制服、どちらもナチスを象徴するものですがその意味合いは全く違います。

 

軍服だと問題ないのに旗だと問題ありなのはなんで?と思った人は以下の長文を読んでみてください。

 

最近、ブログの読者から右翼に仕立てられてしまった私には日本の軍旗しか例えるものが思いつきません。軍旗というものは本当に大切なもので士官学校を出たばかりの小隊長でも参内 (宮城(きゅうじょう)を訪れること)し天皇から直接賜っていたんですよ。

賜るという言葉ですが、天皇があげるときも「賜る」、天皇から頂くときも「賜る」という言葉を使います。「あれ、どっちだったかな」と曖昧なまま放っておいた人も多いのではないでしょうか?この機会に覚えておいてくださいね。ちなみに士官学校という言葉はドラマや映画で耳にすることがあるかと思いますが陸軍の教育施設です。海軍は海軍兵学校。士官は尉官とほぼ同意と思っていただいて結構です。兵というと尉官の下に下士官(曹長、軍曹、伍長)があってさらにその下に兵(上等兵、二等兵、一等兵)があり、この兵の兵学校と思われるかもしれませんが違います。海軍兵学校の兵は兵科の兵。他に機関科などがありましたが、身分の兵ではなく部門の兵科からとった兵なのです。さらに脱線して陸軍士官学校は市ヶ谷にありました、いまの防衛省があるところです。海軍兵学校は当初築地にありましたがのちに広島県の江田島へ移転します。単に江田島と言って海軍兵学校を指すことがあるのでこれも覚えておいてください。

話を戻して、戦場では軍旗を命がけで護ったのでした。もし軍旗を奪われたら隊長が自決するということもよくあったようです。今や乃木坂46の方で有名になった乃木坂ですが、乃木大将からとって命名された坂です。その乃木希典ですが軍旗を奪われたことがあります。西南戦争の時に遭遇した薩摩軍に軍旗を奪われてしまいました。その時は自決することがなかったのですが、以後彼はずっとそのことを気にかけてました。明治天皇崩御の際にご遺体が宮城(きゅうじょう)から出立する合図の号砲と同時に静子夫人と自刃したのですが、その時の遺書の冒頭に書かれていたのが、軍旗を奪われてしまったことでした。

 

もう一つ軍旗で例えると。先ほども書いた通り軍旗というものは非常に大切なものだったのですがどれほど大切だったかというと軍旗は天皇の次に偉いのです。どういうことかというと、天皇に対しては軍旗を下げる(つまり軍旗が天皇に頭を下げる)のですが他の皇族には軍旗を下げることがなかったからです。また脱線で、満州国皇帝溥儀が来日した時に溥儀皇帝に軍旗を下げるかどうかの議論になった時に天皇は「国際常識に反することは許さない」と言って溥儀を迎える時に軍旗を下げることになったのですが、やはりもう一度天皇にお願いして綸言を覆してもらい、結局下げないことになりました。

以上をもって、ナチスの軍服を模倣したりすることはナチスの鉤十字旗(ハーケンクロイツ)程には問題ない、という私の意見ですが、おわかりいただけたでしょうか?

今回の記事は軍旗をきっかけに脱線しまくってますが、最後に。この国に天皇よりも偉い存在があることを知っていましたか?それは三種の神器です。3種の神器には天照大神が宿っている、といえばお分かりいただけるでしょうか。3種の神器を天皇がお守りする、奉ずるのです。剣璽渡御の儀で新しい天皇に受け継がれるのですが、終戦後二度あった即位の際には剣璽等承継の儀と名称を変えられてしまいました。憲法にある政教分離の観点からだそうです。

また、脱線すると。皆さんが耳にして決して心地のよくない「靖国問題」ですが当初は政教分離の問題だったのですよ。アホな記者が参拝する政治家に「公人として?私人として?」と聞くのもそれがあるのでしょう。みなさんの大好きな朝日新聞が「靖国問題」を報道し1985年に初めて中国がイチャモンつけてきました。以降、「靖国問題」イコール中国、韓国からのイチャモンという図式になって行きました。A級戦犯が合祀されたのは1979年なんですけどね。それまでは問題なかったようなので、慰安婦問題も含めて朝日新聞のやってきたことは今後しっかりと検証されるべきだと思いますよ。あ、愛知県内の三ヶ根山に殉国七士廟というA級戦犯7人を祀った廟があります。私は2008年に愛知県に転居してきましたが、真っ先にここを訪れてます。昭和天皇が豊田市で行われた植樹祭に御行幸あそばされた際、三ヶ根グリーンホテルに宿泊されました。その際に直接訪れることが出来ないので、皇后陛下とともに部屋から三ヶ根山頂(廟のあるあたり)に向かって15分間頭を下げられていたようです。豊田市内の行事で三ヶ根山に宿泊するというのはそういうことなんです。

話を戻しますが、剣璽渡御とは3種の神器には意思があって、新しい天皇に自ら渡ってくるイメージです。これを承継の儀としてしまうとまるで相続や所有のイメージが出てしまい、そのスケールや荘厳さにかけます。皇室典範や皇室行事の様式は明治のものに戻してもらいたいところです。その点でいうと先帝陛下の即位は昭和天皇の崩御に伴って行われましたが、本来は違います。前の天皇崩御に伴うものは践祚(せんそ)といって即位とは違います。旧皇室典範には「天皇崩する時は皇嗣即ち践祚し祖宗の神器を承く」とあります。つまり儀式関係なく崩御と同時に天皇のお立場が受け継がれます。そして喪があけたのちに剣璽渡御の儀を行って正式に即位するのです。しかし、戦後に作られた皇室典範では践祚と即位をごちゃ混ぜにして平成の剣璽承継の儀は昭和天皇崩御直後に喪服で行われました。いまの皇室典範では「天皇が崩じた時は皇嗣が直ちに即位する」となってます。次の即位が天皇崩御に伴って行われるのかどうかわかりませんが、元に戻すべきだと思いませんか?先帝陛下即位の際は喪中だったので平成3年に「即位の大礼」が行われましたが京都から自衛隊ヘリを使って「高御座(たかみくら)」をお迎えして行われました。この「高御座」にご着席された瞬間に新帝は高天原(たかまがはら)の天照大神とシンクロし現人神 (あらひとがみ)となられるのです。感動しませんか?今上天皇は令和元年5月1日に剣璽等承継の儀、10月22日に即位礼正殿の儀が行われましたが、この時は自衛隊ヘリではなく民間のトラックで「高御座」をお迎えしました。大正天皇と昭和天皇の時は京都へ御行幸の上、京都御所紫宸殿にて「即位礼紫宸殿の儀」が行われています。「高御座」が皇居ではなく京都御所内の紫宸殿に普段はあるからです。また、東京遷都を定めた正式な文書はありません。この二つ(遷都の正式なアナウンスがないこと、京都御所紫宸殿に高御座があること)をもって、本当の意味で東京への遷都はされていないという説もあります。

 

また、京都人には「天皇は御行幸で東京にいらっしゃって、まだ帰って来られない」ということを冗談も含めていう人もいるようです。