5ヶ月ぶりにこんにちは
院長の佐野です
明日、9月18日は1931年に柳条湖事件のあった日です
患者さんにこのブログのファンがいて、「次の受診までに記事をアップ」する約束をしたので、1日早くアップロードしちゃいますね。
柳条湖事件とは南満州鉄道の線路爆破事件です。五・一五事件の前年ですね。この年は意外と知られていませんが3月事件や10月事件などもあり、日本の軍国主義が戦争へ向かっていく重要な年です。若槻礼次郎首相、幣原喜重郎外相で穏健な外交方針を取っていましたが、関東軍はこれに不満を持っていたこと、当時満州では日本人と支那人および支那当局との衝突が続いており世論が関東軍に同情的であったという背景も頭に入れておいてください。
奉天郊外の南満州鉄道の線路が爆破され、これに関東軍が応戦し翌日には奉天を掌握してしまいました。この爆破は実は小規模なものでした。関東軍の進軍の口実になれば良いのでごく小規模でよかったのです。
これも支那側の謀略だったという説もあるのですが、ここでは関東軍の仕業ということで書いておきますね。
さて、満州で関東軍が何かを企んでいるという情報は直前に天聴に達し (天皇の耳に入り)、宸襟(天皇のお心)を悩ませるに至りました。聖旨(天皇のお志)を拝した政府は高官を現地に送って関東軍を諌めようとしましたが、現地料亭で酒と女の接待攻撃を受け肝心の関東軍の責任者とはなかなか会うことができず、柳条湖事件が起こってしまったというサイドストーリーもあります。
斯くして、満州事変は始まったのでした。
ちなみに、以前にブログにも書いた張作霖爆殺事件は満州事変とは違う出来事です。こちらは満州某重大事件
宮中某重大事件というのもありますが、こちらはまた別の機会に取り上げますね