庄内クリニックブログ Shonai Blog

Is it automatic?

世の中、情報や技術の革新によりどんどん便利になっていきます

そんな中で失われていくものもある。というか振り返ってみて、失ったことに気づきます

 

小学生時代に国語の長文問題で「クオーツ式時計はほとんど狂わず便利だが、道具としての愛着は機械式時計に比べてなくなってしまった。」という趣旨の記事を読まされたのがその手のご意見の初体験でした

 

私にもそういうものがいくつかあります。料理や食事もそうですよね。わかりやすいのが炊飯器で炊いたご飯よりも竃と羽釜で炊いたご飯は美味しさが段違いです。便利さ手軽さに負けて電気炊飯器まで進化したけど気づいてみれば昔の炊き方の方が美味しかった。というのはみなさん実感あるのではないでしょうか。羽釜で炊いてくれるところはお米をはさ掛けしてから脱穀、精米してあったりして。まるで違う食べ物です。かといって自宅に竃を用意して羽釜で米を炊く生活なんてできません。腕時計だって普段はクオーツバリバリのGショックです。

 

こんにちは、自動車評論家の佐野です

ここからはややマニアックな車の話になります

 

みなさん、お分かりかと思いますが。佐野は車好きです。車の運転が好きです。気持ちよく運転していたい系の車好きです。気持ちよく運転するための条件として譲れないのが今や化石のような車でしか見かけることのなくなったマニュアルトランスミッション付きの車です。略してMT車ですね。なぜ、MTにこだわるのか何人もの人に聞かれましたが「自分でコントロールできている感触やその事実が好き」これしかないです。性能でいえば、サーキットを走らせるのだって素人ではMTだとむしろ遅いし、燃費だって最近は逆転してしまってMTの方が悪いようです。合理性で言えば20年ほど前にMTはオワコンになりました。なので何故MT車が好きなのかなかなか理解されません。でも、好きなんです。

ただ、最近のMT車は坂道発進で前進する為の駆動力が十分に伝わるまでは自動的にサイドブレーキをかけてくれて後退する現象を防いでくれたり、防ぐ為の負担を軽減してくれたりする機能が付いてます。

 

不要です。

 

また、安全のためにクラッチを踏まないとエンジンスターターが回らないような仕掛けが付いているMT車も増えました。

 

不要です。

踏切内で立ち往生したとき、スターターで車を動かして脱出することができなくなってしまいました。

 

もう一つ私が嫌いな便利機能の代表が電子制御スロットルです。

説明すると、ガソリンエンジン車は空気をどれだけエンジンに吸わせるかを調節する弁がついてます。ガソリンエンジンは燃料と空気を理想的な割合にしておかなければいけないので、パワーを絞るときには燃料と同時に吸入する空気も絞らなければいけません。その吸気を調節するのがスロットルバルブになります。そのスロットルをコンピュータで制御するシステムのことですね。

一旦、いつもの横道。図はいつものようにネットから拝借しました

空気と燃料を一定の割合に保つために、昔はベンチュリ効果を利用して吸気量(速度)が多い(速い)と沢山、少ない(遅い)と少量、の燃料を霧吹きのように吸気中に吹き出すキャブレター(気化器)という機械が担ってました。気体は流速が上がるほと気圧が下がるベンチュリー効果と、液体燃料が常に表面張力で吸気通路内にはみ出ている現象を利用しています。やはりこれでは完全に空燃比(吸入空気と燃料の割合)を一定にはできないので主に排ガス規制をクリアする目的で機械的、電子的に感知した吸気量に応じてガソリンを噴霧する電子式燃料噴射装置(EFI)にとって代わられました。この頃から半導体がなくては自動車を生産できなくなってきました。そのEFIも排ガス中に残った酸素濃度をセンシングしてさらに細かく燃料噴出量を調整するなど高性能化していきました。人によっては、キャブレターじゃなきゃいやだ。という車好きも沢山います。私もキャブレターの方が好きですが現状を鑑みるに「EFIでもいいじゃないか。」という意見です。運転しているときの感触にはそれほど大きな差を感じないからです。ただ

ここから本題戻ります。吸気量から燃料噴射量が決まる、ということなのですが。そもそもの吸気量を決めるスロットル機構も電子制御になってしまうと話は別です。どういうことかと言いますと、電子制御になる前は人間が操作するアクセルペダルと吸気料を制御するスロットルバルブは直結していました。アクセルペダルを踏むとワイヤーが引っ張られ、スロットルを開いていました。ところが電子制御スロットルになるとアクセルペダルの踏み具合をコンピュータが感知しその時の状況と合わせてコンピュータがスロットルの最適な開き具合を決めます。それが運転している時の微妙な違和感として感じてしまいます。例えばMT車だと発進時にクラッチ操作でエンジンの回転をエンストさせない程度にクラッチを滑らせながらタイヤまで伝えていきますが、あまりクラッチを摩耗させたくないのでエンスト(エンジンストール)ギリギリまでエンジン回転数が落ちたりします。このときにコンピュータがエンストの予兆を察知して勝手にスロットルを開けてしまい車の動きがギクシャクすることがあり、下手な人みたいになります。ウンザリです。他にもあからさまに自分が要求してない操作をコンピュータがやってしまうことが沢山あります。自分のアクセル操作とスロットルが直結していないという認識自体が自分で操作しているという満足感を軽減してしまう部分も多いにあるとは思いますが私にとっては違和感でしかありません。

ただ、このような電子制御も今後どんどん導入されてくるであろう「自動運転」には欠かせない機構になります。どういうことかと言いますと。人間の操作と機械が直結しているとなかなかコンピュータによる制御が困難になります。むしろ人間の操作と車体を切り離してしまった方がコンピュータによる自動運転は制御が容易になります。イメージとしては人間を機械的な操作から切り離してしまい、人間の操作はコンピュータに命令をだすだけ、それを受けてコンピュータが車を運転する感じですね。実際に現在新車として売られている自動車はほとんどそうなっています。つまり、ゲーム画面内の車にどんどん近づいています。人間はコンピュータとやりとりするだけで、そこから先が実際の車なのか、画面上の車なのか、の違い。ブレーキに関しては、20年前にドイツの某高級車メーカーが失敗して機械式制御のままの車も沢山残ってますが、最近はどんどん電子制御化されてきました。ハンドル操作ですら人間の操作がステアリング機構には直結していない車も増えてます。やはり、自動運転に向けての必然なのでしょう。

で、このような偏屈な車好きが意外と沢山いて、昔ながらの人間が操作する車を求め始めています。特にフェラーリやポルシェなどの高級スポーツカーの中古車価格が高騰しています。今まではそんな時代の車やそもそも中古車には見向きもしてこなかったような沢山お小遣いがある人たちが昭和や平成初期の中古車に目を向け始めてしまいました。ゲームのようにコンピューターに指令を出すだけの現代のスポーツカーにつまらなさを感じ始めているのかもしれません。私が好きな世代の中古車たちが軒並み値上がりしてしまいましたので、フェラーリやポルシェみたいな超高級車じゃなくてももう買えなくなってきました。

 

このままいくと、自分で運転する楽しみは期待できなくなるでしょうから、いよいよになれば諦めて完全自動運転の車にしようかと思います。

 

それまで、もう少し足掻いてみますね。