庄内クリニックブログ Shonai Blog

テロル許すまじ

アホな人たちはこんな時にもネット上にデマやつまらん妄想を垂れ流すんだな。と辟易してしまいました

こんばんは、院長の佐野です

 

安倍晋三元首相が暗殺されました。ネット上には中国が絡んでいるだの岸田政権にとって邪魔な存在だったとか、テキトーなことを書いている連中が現れ始めています。楽天がピンチで、とか言い出す連中に至っては意味不明です。確かに楽天の三木谷さんの問題には政権中枢メンバーが絡んでいるそうですが、元首相の暗殺に結びつけるあたり、繰り返しますが意味不明です。さらに呆れたのが大手メディアが故人の紹介で森友、加計、桜の会の素材を使っていたのにもビックリしました。森カケ桜の会がどういう問題であったのかはそれぞれ自分で調べてみて下さいね。で、問題ありだと思ったら思ったでいいのですが、それを故人の紹介に使うほどのものかどうか考えてみて下さいね。その上でテレビのニュースを観るようにして下さい。あ、新聞も同様です。

で、今日の暗殺事件に関する私の考えですが、個人的な思い入れを抜きにして言えばほんの2年前まで首相をしていた要人へのテロを許しちゃう日本の体制に疑問を禁じ得ません。あまりに手薄だったのではないでしょうか?私は県知事さん、ヤクザの幹部、収監中の受刑者の入院に出くわしましたが「あ、こりゃ簡単に襲えないわ」という程度には厳重でした。また、選挙演説やイベントで挨拶する国会議員を何度か見てますがやはり簡単に襲える感じではなかったように思います。そう言えば、細野豪志さんが地元に来てた時はかなり近くまで寄れました。それでも、選挙カーの上には複数の護衛スタッフがいました。今日はどの程度の警護が付いていたのかわかりませんが自動式ではない手製の銃で2回目の発砲を許してしまっているので、私の想像よりはずっと手薄であったのだと思います。冷たいようですが、私はそこが真っ先に気になりました。

個人的な思い入れありで書かせていただくと、マスゴミにあそこまで嫌われていたのに長期政権になったのは国民人気が高かったからだと思います。女性スキャンダルもなくマスコミも叩くことができないから森友、加計、桜の会やはたまた奥さんの私生活でヤンヤやるしかなかったのです。

そして、帰宅してから小学生の娘が「天皇陛下の次に偉い人でしょ?」と聞いてきましたが、私も「さもありなん」と思ったのでした。説明しますね。

以前、ブログで軍旗が天皇の次に偉いと書きましたが、皇族を除いた臣下の中では誰が一番偉いのでしょうか?それを考える時に戦前の基準になってしまいますが宮中席次というものがあります。宮中席次とは宮中で晩餐会などが行われるときの席順を決めた表です。トップは「大勲位」の勲章を持つもの、第2位は内閣総理大臣、第3位は枢密院議長です。で、戦後中曽根康弘元総理大臣は存命の時から「大勲位」をもらっていたので「臣下の中で一番偉い人」だったのです。死後に大勲位を与えられた人は他にもいましたが、存命中の大勲位叙勲は戦後中曽根康弘さんだけです。そして、安倍晋三さんは中曽根さんに匹敵する人物でありましたので娘のいう「天皇陛下の次に偉い人」というのもありなのかな。と思いました。業績を考えれば、死後になりますがこれから大勲位を叙勲することになると思います。

そして、安倍さんと言えば日本の進歩派の人達と堂々と戦える稀有な方だったかと思います。左巻きの人達って何故かかなりの高学歴であったり実際に頭良かったりします。そして、ほとんどの日本人は私も含めてですがヤバい人達に喚かれると萎縮して何も言えなくなってしまいます。そうやって日本人は戦後空襲で焼け野原になった土地や財産だけでなくプライドや歴史的事実までも奪われてきたんですよ。でも、そんな人達に追及されても臆することなく堂々と返していた安倍さんは総理大臣辞任後も保守派議員達の心の支えになってきました。その安倍さんを失ったのですから今後の政治にも大きな影響を与えてしまいそうなのが心配です。本当にまだまだ生きていて欲しかったです。本当の意味で天皇の次に国のために奉仕してくれていた人だったのではないでしょうか。

さて、今回の犯行に使われたのは手製の銃であったとのことですが。ハッと思い出したのが「虎ノ門事件」です。昭和天皇が摂政の宮裕仁親王であらせられた1923年12月27日に難波大助という無政府主義者の青年に襲われます。通常国会の開院式に出るために公用車に乗っていたのですがその公用車に向かって難波大助は仕込み杖を車の窓に押し当て銃弾を打ち込んだのでした。でも、この時は運転手が機転をきかせて車の速度を上げたため2発めを撃たすことはありませんでした。そして摂政の宮はそのまま国会で公務なさったということです。ちなみにこの年の9月1日には関東大震災が起こっており復興中の東京で起こったテロでした。先日のブログにも書いた通り虎ノ門事件についてはまた別の機会に書きたいと思いますので、虎ノ門事件についてはここまで。

あ、最後に

大相撲で優勝した力士が天皇から賜る天皇賜杯ってあるじゃないですか。あれは相撲好きだった裕仁親王(のちの昭和天皇)が摂政の宮だった時に摂政の宮賜盃というものを始められて天皇になられてから天皇賜杯になったんですよ。