庄内クリニックブログ Shonai Blog

アッツ島の戦い

こんばんは、院長の佐野です

 

80年前の1942年6月5日はミッドウェー海戦で大日本帝国海軍が大敗を喫した日です

1941年の12月8日に真珠湾攻撃でそれなりの成功を収めた帝国海軍は次なる手として

聯合艦隊(連合ではなく聯合と書くのが通例です)司令長官山本五十六がハワイと日本列島の中間近くのミッドウェーまで米国艦隊をおびき寄せて叩いてしまう作戦を思いつきます

しかし、帝国海軍軍令部はこれに対し消極的でした。北方からの米軍の脅威に備えるためアリューシャン列島を押さえる策を支持します。これを山本五十六は受け入れてミッドウェー海戦と同時に進められました。アリューシャン列島というのはカムチャッカ半島からアラスカにかけて弓状にのびる列島で、そのうちのアッツ島とキスカ島に上陸、占領を試みました。ミッドウェー海戦と同じ6月のことです。最初、アッツ島に1000名で上陸しましたがキスカ島の方が米国側にありキスカ島から先に米軍が出現すると考えられ、のちにキスカ島へ移動します。そしてアッツ島には2500名、キスカ島には5000名の守備隊が組織され進行してくる米国軍を待ち構えていました。

今日はミッドウェー海戦の日ですが、アッツ島について書いていきます。

1年近く経って1943年の5月になり米軍が押し寄せます。予想に反して先にアッツ島からでした。空母1隻、船艦3隻の艦隊での上陸作戦でした。予想外の米軍出現であったのもあり装備、弾薬は圧倒的に不足しており上陸作戦から約20日後の5月29日には2500名いた守備隊が300名にまで減っていました。

武器も持たず、走ることもできない日本兵は降伏も許されていなかったため敵に殺される為に丸腰で歩いて突撃していきました。これを機関銃で迎撃した米兵は恐怖に慄き絶叫したと言います。その時に日本兵が口にしていた歌が「海行かば」です。歌詞を書いておきますね。コピペではないですよ、ちゃんと覚えてます。短い歌詞ですが

 

海行かば、水漬く屍(みづくかばね)

山行かば、草むす屍

大君(おおきみ)の辺 (へ)にこそ死なめ

顧(かへり)みはせじ

 

私なりに現代語訳を書いておきますね。センスがなくてすみません、ニュアンスだけでも

 

海で戦って、海を覆い尽くす死体となり

山で戦えば、草場の中で死体となり

天皇のために死んでいこう

後悔することなどあるものか

 

大友家持の歌と言われていますが、長い歌のほんの一部のようです

1937年信時潔(のぶとききよし)作曲でメロディがつけられました。2.26事件の翌年で盧溝橋事件があった年ですね。満州事変と盧溝橋事件を混同してほぼイコールだと思っている人が多いようですが。満州事変は1931年です。

さて、この「海ゆかば」ですがYouTubeなどで一度聞いてみて下さい。アッツ島で玉砕した方々のことを思いながら聞くと、左翼の人でも背筋が伸びてしまいます。

さて、このように玉砕したアッツ島の守備隊でしたが、山崎保代中将は最後の突撃前に大本営に

「他に策なきにあらざるも、武人の最期を汚さんことを恐る」

ここも現代語訳というか、説明を加えつつ思いっきり意訳してみますね

「玉砕以外の策もないわけではないが、むしろ武士として潔く死ぬことを選ぶ」といった感じでしょうか

と電報を打ちました。どうですかゾクゾクするような名文です。以前にも文語調の日本語のカッコよさについて書きましたが、戦闘前の電報分、玉砕前の電報分には部隊長の覚悟が伝わってきてゾクゾクしてしまいます。決して戦争が好きなわけではないんですけどね。いつも「あいつは好戦的なやつだ。右翼の急先鋒、危険思想だ」なんて言い出す奴が必ずいるんですよね。だいたいそういう人たち、って左翼じゃなくても2009年の選挙の時に民主党政権側に投票しちゃってるんですよ。テレビ、新聞の報道があんなに不自然だったのに、普段から正しい情報とは何かを探求する精神を放棄しちゃってるからあんな馬鹿馬鹿しいヤラセに気づかないんです。

あ、話を戻しますね。帝国陸軍は徴兵が多かったのですが徴兵された兵隊に「武士として潔く死ぬ」ことを命令するに至った山﨑中将を思うと胸が張り裂けそうです。ちなみに帝国海軍は最後まで志願兵で構成されていました。そこらへんも陸軍、海軍の不仲の原因の一つだったのではないかと考えてみたりもします。

 

翌日、参謀総長の杉山元(はじめ)は参内・拝謁しこの旨を上奏しました

天皇は「そうか、よくやった。朕が満足していると電報を打ってやれ。」と仰せられました。

参謀総長は「お言葉ですが、玉砕しましたので、電報は届きません」と勅答しました

天皇は「それでもいいから打ってやれ」と優諚を賜ったのでした

 

涙無くして語れない、アッツ島の戦いです

例によって、難しい用語を使いましたのでいくつか説明しておきます

参内さんだい(皇居(宮城きゅうじょう)へ行くこと)

拝謁はいえつ(天皇に会うこと)

上奏じょうそう (天皇に申し上げること)

朕ちん(天皇、皇帝だけが使う一人称。私)

勅答ちょくとう(天皇からの質問「勅問」に対してお答えすること。では天皇に問う時の用語は何かというと、天皇に問うなどそんな不敬なことは許されないことなのでそれに当たる用語は存在しません)

優諚ゆうじょう(優握(ゆうあく)なる御諚(ごじょう)/優しいお言葉。の略)

優諚については12月27日の虎ノ門事件について書くことが叶えば、その時に使いたいのでこの機会に無理やり使用して説明しておきました

 

キスカ島については、近いうちに書きますね。長くなったので今日はここまで。